朝、目が覚めた瞬間に視界に入るのは、昨夜脱ぎ捨てた靴下と、半分中身の入ったままのペットボトル。その光景を見ただけで、私の心には鉛のような重苦しさが広がります。本当は清々しい気分で一日を始めたいのに、部屋の状態がそれを許してくれません。洗面所へ向かう道中も、床に置かれた雑誌を避け、積み上げられた段ボールの脇をすり抜けるように歩かなければならず、朝一番の動作一つひとつに余計な神経を使うのです。例えば、仕事に集中しようとしているとき、机の上に置かれた飲みかけのペットボトルや古い郵便物が目に入ると、脳はそれらを「ノイズ」として認識し、それを無視するために多大なエネルギーを消費します。この「ノイズを無視する労力」こそが、私たちを疲れさせ、イライラの原因となる正体です。この小さなストレスの積み重ねが、やがて大きなイライラへと変わっていきます。朝食を作ろうとしても、キッチンカウンターは洗っていない食器と調味料の瓶で埋め尽くされており、まずは物をどける作業から始めなければなりません。探し物が見つからないのは日常茶飯事で、出かける直前になって鍵やスマートフォンをゴミの山の中から発掘する作業は、もはや絶望感すら覚えます。仕事から疲れて帰ってきても、そこにあるのは安らぎの空間ではなく、さらなる労働を強いる戦場のような部屋です。座る場所を確保するためにクッションを移動させ、テレビのリモコンを書類の下から探し出す。そんな当たり前の動作ができない不自由さが、じわじわと私の精神を蝕んでいきます。鏡に映る自分の顔は、常に眉間に皺が寄り、余裕のない表情をしています。部屋を汚しているのは自分自身なのに、その結果に自分が苦しめられているという矛盾が、さらに自己嫌悪を加速させます。散らかった部屋は、私の時間を奪うだけでなく、前向きに生きようとするエネルギーさえも吸い取ってしまうモンスターのようです。夜、寝る前に部屋を見渡しては「明日こそは」と呟きますが、その言葉すらも虚しく響くほど、私の心は部屋の汚れとイライラの連鎖に深く沈み込んでいます。この負のループを断ち切るには、自分一人ではもう限界なのかもしれないと感じる夜が、何度も繰り返されているのです。
散らかった部屋で過ごす私の一日と募るストレスの記録