数年前までの私は、都内のワンルームでゴミの山に囲まれて暮らす、いわゆる汚部屋の住人でした。当時、周囲からは「仕事もできてしっかりしている」と思われていましたが、玄関を一歩入れば、そこには人間らしい生活など微塵もない惨状が広がっていました。なぜあんなことになったのか、今振り返ると、それは仕事での過度なストレスと、自分を大切にする心を失っていたことが最大の理由でした。毎日深夜に帰宅し、コンビニで買った夕食を食べてそのまま倒れ込むように眠る。翌朝は這うようにして会社へ行く。そんな生活を繰り返すうちに、お弁当の空き殻やペットボトルをゴミ袋に入れるという数秒の作業さえ、今の私には不可能なほどの重荷になっていきました。最初は「明日やればいい」という小さな先延ばしでしたが、それが一週間、一ヶ月と重なり、気がつけば床が見えなくなりました。一度床が見えなくなると、不思議なことに罪悪感が麻痺していきます。一つゴミを床に置くのは抵抗がありますが、すでにゴミが散乱している場所に新しいゴミを重ねるのには、何の抵抗も感じなくなってしまうのです。また、汚部屋の住人であることを誰にも知られたくないという恐怖心から、業者を呼ぶこともできず、壊れたエアコンの修理や配管点検さえも拒否し、自ら孤立を深めていきました。私にとってゴミの山は、外の世界で傷ついた自分を守るための不格好な「繭」のような存在だったのかもしれません。しかし、その繭は同時に私を窒息させようとしていました。なぜ片付けられないのかと自分を責めれば責めるほど、ストレスで動悸がし、さらに片付けから遠ざかるという地獄のようなループ。転機は、あまりの惨状に見かねた友人が強引に介入してくれたことでした。彼女は私を責めることなく「今まで一人でよく耐えたね」と言ってくれました。その言葉で、私は自分がただだらしないのではなく、心が限界を迎えていたのだと気づくことができました。汚部屋になる理由は人それぞれですが、私の場合は「自分を愛すること」を忘れてしまった報いだったのだと感じています。清潔な部屋で眠れる幸せを取り戻した今、私は毎日ゴミを出すたびに、あの暗い部屋にいた自分を抱きしめてあげたい気持ちになります。もし今、かつての私のように足の踏み場もない部屋で絶望している人がいるなら、どうか知ってほしい。なぜそうなったのかを突き詰めるよりも、まずは自分を許し、誰かの手を借りる勇気を持ってほしいのです。