数年ぶりに帰省した実家は、玄関を開けた瞬間に異臭が立ち込め、廊下まで新聞紙や空き缶が積み重なるゴミ屋敷と化していました。一人暮らしをしていた父は、体力の衰えとともに片付けの気力を失い、気がつけば自分でもどうしようもない状態に陥っていたのです。私は絶望感に打ちひしがれましたが、このままでは父の命に関わると直感し、翌朝一番にホームセンターへ走り、大量の軍手とゴミ袋を買い込みました。作業を始める前、私は新品の軍手を手に取り、その重みを感じながら深く息を吐きました。軍手をはめるという行為は、目を背け続けてきた現実と向き合う覚悟の象徴でした。指先を包み込む布の感触が、これから始まる過酷な戦いへの防具となり、私の震える手を支えてくれるような気がしました。実際に作業を開始すると、事態は想像を絶するものでした。積み上がった雑誌の束の下からは見たこともない虫が走り出し、腐敗した生ゴミからは耐えがたい臭いが鼻を突きました。しかし、軍手をはめているという安心感が、私の手を動かし続けさせました。素手なら一瞬たりとも触りたくないものも、軍手越しであれば「これはただのゴミだ」と自分に言い聞かせることができたのです。作業を進める中で、軍手は瞬く間に真っ黒になり、湿り気を帯びていきました。何度も何度も新しい軍手に交換しながら、私は父が捨てられずにいた思い出の品と、ただの廃棄物を仕分けていきました。軍手を通して伝わってくる物の感触は、父の孤独な日々の記録のようでもありました。夕方になり、一部屋だけ床が見えるようになったとき、私の軍手はもうボロボロでした。しかし、その汚れは私が逃げずに立ち向かった証であり、父との関係を修復しようとした努力の結晶でもありました。父はその夜、綺麗になった床を見て、久しぶりに穏やかな表情を見せてくれました。ゴミ屋敷を清掃するということは、単に物を捨てるだけでなく、そこに住む人の尊厳を取り戻し、家族の絆を繋ぎ直す作業なのだと痛感しました。軍手一枚が、私にその勇気を与えてくれたのです。もし今、同じように身内のゴミ屋敷問題で悩んでいる人がいるなら、まずは自分にぴったりの軍手を選ぶことから始めてほしいと思います。その小さな準備が、停滞していた時間を動かす原動力になるはずです。ゴミの中に埋もれていたのは、ゴミだけではなく、私たちの未来そのものだったのかもしれないと、今はそう感じています。